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終身雇用や企業内組合を特徴とする日本型経営システムが国際的にも「強み」とされたのはそのためである。 しかし、Sの場合は一繕の望みであった。
このような精神を、アメリカ人は好む。 Sへの投資は、彼らには魅力的な冒険であった。
IBMはSの株を大量に引き受けたのである。 これによりSは創業以来の危機を乗り超えた。
M氏は守りに成功すると、すかさず攻めに出た。 「IBMも認めたSの技術力」を大々的に吹聴し、日本国内の株価を反発させていったのである。

一方、地方からここで働く「トランジスタ娘」と呼ばれる集団就職者が急増していった。 I氏は、技術者が自分の好きな研究を存分にできる「理想工場」として東京通信工業を設立したが、そのイメージは技術者集団による研究所的なものであった。
生産は彼らが手作りでこなし、量がこなせなくなれば適当に外注先を見つけて委託していくというような状態であった。 工場労働者との距離近代的な工場が建てられ、そこで働く労働者の最大の関心事は、労働の対価としての賃金であった。
1960年には年末一時金闘争のストライキが行われている。 I氏には違和感があったに違いない。
一方で、地方から上京した彼らにも違和感はあった。 既にSのイメージはモダンで進歩的な企業とイメージ上のSと、実際に体験するSの工場との間には、極端な落差があったことだろう。
共産主義的なイデオロギーが力を持っていた時代でもあった。 組合の闘争方針に階級闘争の思想が加わっていく。
Sの組合は先鋭化していった。 創立旧周年の行事を行う日にストライキを打たれたとき、M氏の腹は決まった。
ユニオン・ショップの破棄を通告したのである。 労使の緊張は頂点に達した。
組合は会社前でピケを張ったが、M氏は密かに行事会場を近くのホテルに変更した。 M氏自身は組合と対時し、ついに式典に顔を出すことはできなかった。

パートナー経営者の役回りとはいえ、M氏の性格を考えれば無念の思いは強かったはずである。 I氏やM氏は、このスト体験によって、その後の生産現場へのスタンスを決めたと言える。
それは、工場はSであってSではないというような製造現場との距離感であり警戒感であった。 Sはあくまでも技術者集団であり、世界に商品を販売するマーケティング集団がこれに加わって両翼を形成する。
工場は彼らとは一線を画す存在となった。

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